このあたりから一色にかけては、川幅が広く膨らんでいた。又、一色のあたりはあさり貝が多く採れた。正面左方に並んでいるのは堀松商店の筵(むしろ)の倉庫である。
浜郷村、四郷村、二見町などのむしろを船で積出し行き先は熱田(名古屋)、桑名、四日市、吉田(豊橋)、半田、岡崎、碧南、小田原、東京などで、帰り荷は宇治山田の台所である河崎の問屋街に荷物を持ってきた。
製筵は当地方の重要な副業であった。
着岸中の二艘の大きな船も、堀 松吉(現在の堀松商店)の持船。写真は昭和三年撮影。
(昭和61年8月11日に伊勢市制施行八十周年を記念して写真集が発刊された中から抜粋、国書刊行会)
■堀松商店の沿革
- 文久元年
- 堀 松平が藁(わら)工品商を創業。地元製塩業者に納入を始める。
- 明治10年
- 名古屋・尾張・三河・紀州方面に帆船にて県外移出を始める。
- 明治後期
- 綿入文庫叺(ぶんこかます)加工を始める。
- 大正時代
- 紡績業の発展により綿入文庫叺(ぶんこかます)加工を主力にし、東洋紡績・大日本紡績、及び全国の紡績工場に納入する。(全国シェアー約95%)
- 大正 2年
- 三重県宇治山田市度会郡連合生産品品評会塩叺三等賞入賞
- 大正13年
- 三重物産品評会筵叺(むしろかます)一等賞牌受賞
- 昭和15年
- 三重県藁(わら)工品移入商業組合設立認可受け、県内同業と企業合同する。
- 昭和17年
- 三重県藁工品商業組合に改称する。
- 昭和19年
- 三重県藁工品統制組合に改称する。
- 昭和22年
- 統制解除後 四代目 堀 弥太郎 藁(わら)工品販売の個人営業再開する。
- 昭和32年
- 有限会社 堀松商店に改める。
- 昭和38年
- 倉庫(NO.5)新築する。
- 昭和40年
- 石油化学製品の包装資材を取り扱い始める。
- 昭和44年
- 倉庫(NO6)新築する。
- 昭和50年
- 事務所新築移転する。
- 昭和59年
- 倉庫(NO.7)新築する。
- 昭和60年
- 倉庫(NO.8)新築する。
- 昭和62年
- 倉庫(NO.9)新築する。
- 昭和63年
- 四日市支店開設する。
- 平成27年
- 南配送センター新築する。