外宮の東南方に源を発する勢田川が、大きく屈曲して河口に向かうところが通港。

昭和3年頃

現在 平成22年2月

むしろ・かます積出地跡

現在の倉庫一部
このあたりから一色にかけては、川幅が広く膨らんでいた。又、一色のあたりはあさり貝が多く採れた。正面左方に並んでいるのは堀松商店の筵(むしろ)の倉庫である。浜郷村、四郷村、二見町などのむしろを船で積出し行き先は熱田(名古屋)、桑名、四日市、吉田(豊橋)、半田、岡崎、碧南、小田原、東京などで、帰り荷は宇治山田の台所である河崎の問屋街に荷物を持ってきた。製筵は当地方の重要な副業であった。着岸中の二艘の大きな船も、堀 松吉(現在の堀松商店)の持船。写真は昭和三年撮影。
(昭和61年8月11日に伊勢市制施行八十周年を記念して写真集が発刊された中から抜粋、国書刊行会)
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